中級武士の常長が、なぜ遣欧使節に選ばれたかについては諸説があります。
しかし常長がヨーロッパへと渡航し、世界中に領国をもつ大国スペインと
通商交渉を行った史実は、世界史上の快挙として輝いています。
1613年10月28日。サン・ファン・バウティスタ号(洗礼者聖ヨハネの意味)は、牡鹿郡月浦(現・石巻市)を出帆します。全長約55m、幅約11m、排水量500t は当時、国内最大級の帆船でした。
乗員は船の建造と航海を指揮したスペイン提督ビスカイノ、遣欧使節の派遣を政宗公に進言し常長とともに大使に任ぜられた宣教師ソテロ、日本人のリーダーが支倉六右衛門常長。そして幕府・伊達家の者とスペイン人船員、商人など計180余名。常長43歳のことです。
慶長遣欧使節の目的は、宣教師の派遣依頼とメキシコ(スペイン領)との通商許可を得ることでした。大国スペインとつながり、その軍事力を後ろ盾に討幕の機会をうかがうためだったというのです。
出帆から約90日、メキシコに到着した使節一行のうち、商人たちの大部分はメキシコに留まり、常長ら約30名が4ヵ月半後、スペイン艦隊に乗りかえてヨーロッパへと向かっています。
慶長遣欧使節の航海ルート | |
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1613年 10月28日 | 月浦出帆 |
1614年 1月25日 | アカプルコ着 |
1614年 12月5日頃 | マドリード着 |
1615年 10月25日 | ローマ着 |
1616年 1月7日 | ローマ発 |
1617年 7月4日 | セビリア発 |
1618年 4月2日 | アカプルコ発 |
1618年 8月10日頃 | マニラ着 |
1620年 9月20日頃 | 仙台着 |
スペイン到着は1614年10月5日で、ソテロの故郷セビリアに立ち寄った後、マドリード入りし、翌年1月30日、ついにスペイン国王フェリペ3世への謁見を果たします。
常長はその場で「宣教師派遣とメキシコとの貿易を希望する」旨が書かれた政宗の書状を渡しますが、国王の許可が得られぬまま一行は8ヵ月間をマドリードで過ごしています。
この間に常長は洗礼を受けて、国王の信頼を得ようとします。洗礼名は国王と聖人の名前を冠した「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ファシクラ・ロクエモン」でした。
常長は交渉を進めるため、さらにイタリアへと向かいます。
10月29日、ローマ入市の行進を行い、11月3日に教皇パウロ五世の公的な謁見式に臨んでいます。謁見式では、常長は貴族位を受け、常長を含む8名にローマ市公民権が授与されるなど大歓迎を受けています。