かわさきあそび特別号「常長と川崎町」

常長と川崎町-川崎町は支倉常長のふるさとです-

400年前、政宗公の使者として太平洋・大西洋を渡り、日本初となる通商外交の国際舞台で活躍した人、それが「支倉常長」です。川崎町は、この世界史に名を残す支倉常長のふるさとです。

支倉常長 年譜

西暦 和暦 支倉常長のできごと関連するできごと※月日は西暦
1567 永禄10 8月、伊達政宗公生まれる
1571 元亀2 支倉常成の子として、現在の山形県米沢市立石に生まれる。幼名・与市
1573 天正元 織田信長、室町幕府を滅ぼす
1577 天正5 伯父、支倉紀伊守時正の養子となる(五郎左衛門)
1579 天正7 支倉時正、米沢より支倉村に所替えとなる
1582 天正10 本能寺の変で織田信長が自害する
1587 天正15 豊臣秀吉、太閤として西日本を支配
1588 天正16 茂庭綱元に従い初陣、相馬軍と戦う
1590 天正18 常長、茂庭綱元に従い、小田原に参陣
政宗公、小田原参陣
1591 天正19 葛西・大崎の一揆が起こり、政宗公の使いを務める
政宗公、岩出山に移住
1592 文禄元 政宗公、名護屋港より朝鮮に出陣
朝鮮出兵にて六右衛門常長が御手明衆の1人として従軍する
1596 慶長元 義父時正に実子が生まれ、常長は600石の分家となる
1600 慶長5 政宗公は千代を仙台と改め、築城を開始 徳川家康、関ケ原の戦い
1603 慶長8 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開く
1610 慶長15 仙台城ほぼ完成。砂金氏が川崎城を築城
1611 慶長16 年末、慶長三陸大地震発生。大津波襲来
1612 慶長17 幕府の直轄領にキリシタン禁教令。実父常成、切腹
1613 慶長18 8月、宣教師ソテロとともに仙台城に呼び出される
10月28日、牡鹿郡月浦(現・石巻市)からサン・ファン・バウティスタ号で出帆
1614 慶長19 1月28日、メキシコ・アカプルコ着 6月、スペイン艦隊に便乗し大西洋を渡る
10月、スペイン上陸。12月、首都マドリードに入る
1615 慶長20
元和元
1月30日、スペイン国王フェリペ3世に謁見
2月17日、王立跣足派女子修道院付属教会で洗礼を受ける
8月22日、ローマへ出発(途中フランスのサン・トロぺ上陸)
11月3日、ローマ教皇・パウロ5世に謁見
1617 元和3 マドリードにもどり、ソテロとともにフェリペ国王と交渉を続けるが長期化。
帰国を言い渡され、7月4日マドリードを離れる
1620 元和6 メキシコ・アカプルコ〜フィリピン・マニラ経由で、長崎に帰港
1621 元和7 常長、亡くなる
1636 寛永13 政宗公が亡くなる

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慶長遣欧使節団関係資料が世界的に重要な「世界記憶遺産」に登録決定となったことで全国的に注目度が上がった「支倉常長」。じつは川崎町は支倉常長のふるさとなのです。彼が育った城址や常長の墓が、川崎町には残されています。
その、常長と川崎町のつながりをまとめたのが『常長と川崎町』。これを片手に、川崎町の歴史散歩はいかがですか?

かわさきあそび 特別号「常長と川崎町」表紙

かわさきあそび 特別号「常長と川崎町」中面

  • 写真協力/仙台市博物館、青葉城資料展示館、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)
  • 参考文献/「仙台の歴史」宝文堂、「ローマの支倉常長と南蛮文化」仙台市博物館、「支倉常長物語」川崎町教育委員会
  • 文責/川崎町

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