西暦 | 和暦 | 支倉常長のできごと関連するできごと※月日は西暦 |
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1567 | 永禄10 | 8月、伊達政宗公生まれる |
1571 | 元亀2 | 支倉常成の子として、現在の山形県米沢市立石に生まれる。幼名・与市 |
1573 | 天正元 | 織田信長、室町幕府を滅ぼす |
1577 | 天正5 | 伯父、支倉紀伊守時正の養子となる(五郎左衛門) |
1579 | 天正7 | 支倉時正、米沢より支倉村に所替えとなる |
1582 | 天正10 | 本能寺の変で織田信長が自害する |
1587 | 天正15 | 豊臣秀吉、太閤として西日本を支配 |
1588 | 天正16 | 茂庭綱元に従い初陣、相馬軍と戦う |
1590 | 天正18 | 常長、茂庭綱元に従い、小田原に参陣 政宗公、小田原参陣 |
1591 | 天正19 | 葛西・大崎の一揆が起こり、政宗公の使いを務める 政宗公、岩出山に移住 |
1592 | 文禄元 | 政宗公、名護屋港より朝鮮に出陣 朝鮮出兵にて六右衛門常長が御手明衆の1人として従軍する |
1596 | 慶長元 | 義父時正に実子が生まれ、常長は600石の分家となる |
1600 | 慶長5 | 政宗公は千代を仙台と改め、築城を開始 徳川家康、関ケ原の戦い |
1603 | 慶長8 | 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開く |
1610 | 慶長15 | 仙台城ほぼ完成。砂金氏が川崎城を築城 |
1611 | 慶長16 | 年末、慶長三陸大地震発生。大津波襲来 |
1612 | 慶長17 | 幕府の直轄領にキリシタン禁教令。実父常成、切腹 |
1613 | 慶長18 | 8月、宣教師ソテロとともに仙台城に呼び出される 10月28日、牡鹿郡月浦(現・石巻市)からサン・ファン・バウティスタ号で出帆 |
1614 | 慶長19 | 1月28日、メキシコ・アカプルコ着 6月、スペイン艦隊に便乗し大西洋を渡る 10月、スペイン上陸。12月、首都マドリードに入る |
1615 | 慶長20 元和元 |
1月30日、スペイン国王フェリペ3世に謁見 2月17日、王立跣足派女子修道院付属教会で洗礼を受ける 8月22日、ローマへ出発(途中フランスのサン・トロぺ上陸) 11月3日、ローマ教皇・パウロ5世に謁見 |
1617 | 元和3 | マドリードにもどり、ソテロとともにフェリペ国王と交渉を続けるが長期化。 帰国を言い渡され、7月4日マドリードを離れる |
1620 | 元和6 | メキシコ・アカプルコ〜フィリピン・マニラ経由で、長崎に帰港 |
1621 | 元和7 | 常長、亡くなる |
1636 | 寛永13 | 政宗公が亡くなる |
慶長遣欧使節団関係資料が世界的に重要な「世界記憶遺産」に登録決定となったことで全国的に注目度が上がった「支倉常長」。じつは川崎町は支倉常長のふるさとなのです。彼が育った城址や常長の墓が、川崎町には残されています。
その、常長と川崎町のつながりをまとめたのが『常長と川崎町』。これを片手に、川崎町の歴史散歩はいかがですか?