パンフじゃ読めない「周遊計画」〜歴史街道〜
今はひっそりした街道に、平安の伝説と歴史が!
羽前街道は、川崎宿(川崎町・笹谷街道)と宮宿(蔵王町・奥州街道)をつなぐ道。平安時代に開かれ、前九年の役や奥州合戦などの軍用路として、また江戸時代初期には山形・秋田の十三藩が参勤交代にも使い、にぎわいを見せました。
全長・四里二十丁(約16km)の山道は、徒歩なら約1日。蔵王町寄りの四方峠に「湯殿山」の碑があるように出羽三山参りにも利用され、毎日200~300人もの人が往来したと伝えられています。明治時代までの長い間、太平洋と日本海の町々を最短距離で結ぶ重要な街道でした。
「かわさきあそび2014年秋号」と、モデルコース「【秋】かわさき周遊計画〜川崎の歴史スポットを訪ねる〜」も併せてご覧ください。
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羽前街道・入口
うっかりすると通り過ぎてしまいそうな、何気ない羽前街道の入口。細い碑が建てられて、その由緒が残されています。
→カーナビ検索では、「丸正精建㈱」(柴田郡川崎町前川字槻木56-1)を目じるしに進むとわかりやすい!
羽前街道・入口の地図
農民の神様・おですさま
街道の入り口から100mほど入ると左手の森の中にほこらがあります。その中に小さな木像「おですさま」が鎮座しています!!
〜民間伝承〜
その昔、この地の人々が馬を使えずに田の代かきに困っていると、どこからともなく若者が現れ手伝ってくれました。人々が礼を言う前に若者は姿を消してしまい、「おですさま(おだいしさま=弘法大師)」がドロまみれになっていた…のだとか。それから農民の神様として地域の皆さんから大切にされています。
農民の神様・おですさまの地図
黒滝不動尊
車で5分ほど登ると、左手に黒滝不動尊の入口があります。黒滝不動尊の本尊は境内奥にある滝の中の不動明王。昔は3体あったそうです。周囲の黒い岩、滝の水しぶきのコントラストが美しく「黒瀧不動」と呼ばれるようになりました。
黒滝不動尊の地図
馬も泣く、肘曲の坂
川崎町の人は、「ひじまがり」を「すずまがり」といい、肘のように折れ曲がる急な坂道です。昔は「馬泣かせの坂」とも呼ばれた街道一の難所でした。
この辺はよくカモシカが現れるところ。運が良ければ会えるかも…でもドライバーさんは運転に集中。ゆっくり進んでくださいね!
肘曲の坂の地図
毒清水
黒滝不動尊からさらに車で10分ほど登り、「肘曲の坂」の先の右側にあります。
〜民間伝承〜
前九年の役(1051~1062)のこと、敗走する安倍貞任は、「(追手の)八幡太郎義家が必ずここで水を飲むはず」と清水に毒を放ちました。ところが八幡太郎義家に「その水を飲むな」と神のお告げがあり、清水の水は飲まず、我慢して黒瀧まで行き休憩したので、難なく追走することができたといわれます。そこで源義家が神へのお礼として不動明王を寄進したと伝えられています。
毒清水の地図
四方峠から蔵王・宮宿へ
峠の頂上にある石碑に「江戸へ百里」「笹谷へ五里」の文字。長旅の道しるべとして重要な峠でした。昔は四方を見渡せたためこの名となり、旅をする人々が休んだことでしょう。文政期の三山碑(湯殿山・月山・羽黒山)、首なし地蔵、金比羅大権現碑もあります。
四方峠の先にある「文治の池」(ぶんじのいけ)は、文治5年(1189)、藤原氏が滅亡した奥州合戦の際に陣が張られた場所。ここを過ぎると蔵王町側の入口に「羽前街道碑」が建てられています。江戸期には「猿鼻宿」がありました。
四方峠の地図
みちのく公園「ふるさと村」で貴重な古民家体験!
国営みちのく杜の湖畔公園の南地区・ふるさと村には、東北6県の古い民家が移築されています。各県の古民家がそろっているのは、みちのく公園だけ。とても貴重な歴史遺産です。どっしりとした柱や梁に、年月の重みが光り、懐かしい「ふるさと」の姿が見られます。
民家のあった地域と、建築上の特性 (◆印=各館の展示テーマ)
釜房の家 (宮城県)
直家、馬屋付属 ◆くらし
本荘由利の家 (秋田県)
両中門造り ◆食
月山山麓の家 (山形県)
妻入り式養蚕家屋 ◆しごと
南会津の家 (福島県)
馬屋中門造り ◆民芸
鳴瀬河畔の家 (宮城県)
中二階式養蚕家屋 ◆すまい
遠野の家 (岩手県)
南部曲り屋 ◆伝承
津軽の家 (青森県)
内馬屋式直屋 ◆祭り
国営みちのく杜の湖畔公園の地図